2026/05/23 00:34



― CMJと90年代オルタナティブ文化の拡大


現在、私たちはサブスクリプションサービスを通じて、日常的に音楽を聴いています。

SpotifyやApple Musicを開けば、世界中の楽曲へ瞬時にアクセスできる。

 気に入った曲をプレイリストに加えれば、アルゴリズムがそこから好みを分析し、

「あなたへのおすすめ」を提示してくれます。


そして膨大な利用者データをもとに、各サービス上でランキングチャートが形成されていく。

こうした環境を、いまの私たちは「当たり前」として享受しています。


しかし、インターネットが存在しなかった時代、音楽はどのように広がっていたのでしょうか。


TVや大手ラジオで流れる人気アーティストならまだしも、

 当初は無名に近かったインディーズ・アーティスト――例えば

 R.E.M. や Sonic Youth のようなミュージシャンたちは、なぜ全米規模へ広がることができたのでしょう。


アメリカの地方都市で活動していたバンドが、どのようにして海を越え、日本にまで届く存在へ成長していったのか。


その背景には、現在ではオンライン文化の陰に隠れ、やや忘れられつつある、

アメリカ独自の「カレッジ・ラジオ文化」があります。


カレッジ・ラジオ局という存在

アメリカでは1970年代末から、多くのカレッジ・ラジオ局が存在していました。

これは大学内で学生主体に運営されていたラジオ局であり、学生街を中心に放送される、地域密着型の音楽チャンネルです。


当時のアメリカ音楽業界では、巨大資本を背景にしたメジャー・ロック/ポップス市場が強い影響力を持っていました。

その中心にいたのが大手FMラジオ局であり、さらに1980年代に入ると、音楽専門チャンネル

 MTV の登場が状況を大きく変えていきます。


ミュージックビデオ文化の台頭によって、

MadonnaやMichael Jacksonのようなスターたちが、視覚的インパクトも含めて巨大な影響力を持つようになりました。


しかしその一方で、

「ヒットチャート中心の画一的な選曲への違和感」を抱くリスナーも現れていきます。


もっと荒削りで、実験的で、地方的で、まだ売れていない音楽を聴きたい。


そうしたリスナーたちの受け皿となったのが、カレッジ・ラジオでした。


「メインストリーム外」の音楽が流れていた場所

カレッジ・ラジオ局では、


・インディーバンド

・地方のDIYシーン

・実験音楽

・アンダーグラウンド・ヒップホップ

・ポストパンク

・ガレージロック


などが、商業市場とは別の回路で流通していました。


全米には1000を超えるカレッジ局が存在したとも言われており、各地域の無名バンドの音源が、それぞれの土地でオンエアされていたとのことです。


CMJ ― カレッジ・ラジオ文化を可視化した雑誌

そして、このカレッジ・ラジオ文化を全国規模で結びつけた存在が、

 College Media Journal 通称「CMJ」でした。


CMJは1978年創刊。


全米のカレッジ・ラジオ局から、オンエア回数、リクエスト数、注目アーティストなどの情報を集計し、「地方シーンで何が起きているか」を共有していました。


つまり、Billboardが「商業音楽のランキング」なら、

 CMJは「アンダーグラウンドの動き」を記録するメディアだったということです。


REM、Sonic Youth、Pixiesはなぜ広がったのか

このネットワークの恩恵を受けた代表的存在のひとつが、 R.E.M. でした。


ジョージア州アセンズ出身のREMは、初期には決してメジャーな存在ではありませんでした。

しかし、内省的な歌詞や、曖昧で詩的な空気感は、大学生コミュニティに強く支持されていきます。


商業FM向きではなかったものの、カレッジ・ラジオには完璧にフィットしていました。

CMJや大学局での支持を通じて、REMは徐々に全米へ浸透していきます。


これは後の「オルタナティブ・ロック」という概念の、ほぼ原型だったとも言えるでしょう。


巨大ヒットからではなく、地方都市と学生文化から全国へ広がるという成功モデルを、

REMは作り上げたのです。


同様に、 Sonic Youth も、通常の商業ラジオでは扱いづらい存在でした。


不協和音。 フィードバック。ノイズ。前衛芸術的感覚。


しかしカレッジ・ラジオでは、その「既存のロックにない感覚」こそが新鮮なものとして受け入れられていきます。


CMJは、こうしたメインストリーム外の音楽を、「新しい文化の兆候」として扱っていました。

さらに、 Pixies のようなバンドも、カレッジ・ラジオ圏で熱狂的支持を獲得していきます。


後に彼らが、グランジ、USインディー、そして90年代オルタナ全体へ与える影響を考えると、CMJとカレッジ・ラジオの存在の大きさを感じずにはいられません。


「売れる前の音楽」を支えていたインフラ

いま振り返ると、カレッジ・ラジオとCMJの価値は、「まだ売れていない音楽」を社会へ接続していたことにあったように思えます。


現代は、アルゴリズムが音楽を推薦する時代です。


しかしネット以前には、学生DJや音楽雑誌編集者たちの熱量が、音楽ネットワークを形成していました。


古いCMJ誌を眺めていると、 「次の音楽」がどのように発見され、共有され、文化になっていったのか。


その過程そのものが、見えてくる気がします。